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President Souda animation

終わりなき夢を求めて〜左右田 鑑穂物語〜

Story−あらすじ−

Chapter1 −10代 柔道にかけた青春−
小学校の頃から柔道を始めた左右田少年は、その才能をさらに磨くため“西の柔道のメッカ”と呼ばれる、奈良県の天理高等学校の柔道部へ入部する。その練習は想像を絶する厳しさで、先輩たちのしごきに辞めていく部員が後を絶たなかったが、左右田少年は生まれついての負けん気でそれを耐え抜いた。そうした苦しい日々が左右田少年を鍛え、なにものにも負けない精神を身につけさせた。やがて副主将となった左右田少年は、オリンピック金メダリスト 猪熊 功氏の薦めで東海大学柔道部へ入部。しかし、厳しさのない大学の柔道に納得できず、また同時に、右手の怪我により柔道に限界を感じていた。「もっと自分を活かす道があるはずだ」と考えた左右田は、思い切って大学を中退。起業家としての道を歩みだす。

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Chapter2 −20〜30代 起業家として−

左右田は昭和40年代半ば、水道工事会社の「左右田管工」を設立。はじめは3人からのスタートだった会社も少しずつ成長し順風満帆かと思われたが、そこに陰りが見え始めたのは昭和49年のことだった。会社の財産である建設機材の盗難、さらに追い討ちをかけるようにオイルショックが日本を襲い、若干27歳の左右田は瀬戸際に立たされることとなった。しかし逆境に耐えるという柔道部時代の教えから自らを奮い立たせ、下請けから元請へ転進するという新たな発想を生み出した。それは空いている土地に貸店舗を建てるビジネスで、提案・設計・施工・テナントの仲介・管理まで行なう事業システムを確立した。こうして逆境を乗り越えた左右田は昭和49年、東名商事を設立した。それは同時に、厳しい営業活動の始まりでもあった。 左右田は飛び込みで一軒一軒営業をしてまわり、断られても信用を勝ち取るためと、人の3倍頭を下げることを自らに課していた。そうして3ヵ月間、一件も契約が取れずにいたところ、ある日転機が訪れた。ようやく左右田のビジョンに共感するお客様に出会い、初契約を得られることとなったのだ。これを期に顧客が顧客を呼び、評判が信用につながるようになると、その後、受注は増え続けた。こうして経営が軌道にのり、起業家としての道が開けたのであった。

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Chapter3 −そして、全国へ−

きっかけをつかんだ左右田は貸店舗がおちつくと賃貸アパート・マンションの分野へ乗り出した。土地所有者を全面的にサポートする事業を進め、やがて規格化商品「PERSONAL」シリーズを生み出すことになる。そして平成4年、東建コーポレーションに社名を改め、左右田は新戦略を打ち出した。そのひとつが「東建コーポレーションカップ」である。以後、この大会が社名を全国に浸透させていくために大きな役割を果たすこととなる。そして平成9年、株式店頭公開、さらに平成14年 東証・名証二部上場を果たし、翌年には一部へのスピード昇格が認められた。こうして東建コーポレーションはここで1つの到達点にたどり着いた。しかし、「これは通過点に過ぎない。やらなければならないことが山のように待ち受けている。」と左右田は語る。柔の道に終わりは無いように、東建コーポレーションはこれからも新たな目標に向かい、未来に向かって前進する。終わりなき夢を求めて・・・


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